イラン・8月の惨状(part1)
コーヒーショップと売買春の街、オランダはアステルダムの一室からお届けしています。
飾り窓地区(道に面した窓から娼婦が通行人を誘う、という形式の歓楽街)から徒歩1分、今夜もオカマちゃんたちの騒ぎ声が聞こえてきます。
ところで、ここアムスも大分いかれていますが、イランで過ごした8月も大分いかれていました。
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2012年8月10日、アルメニアからイランへと国境を越えました。
この国境から、女性は、頭髪を見せてはいけない、体のラインを見せてはいけない、などの決まりに従わなくてはなりません。男性ならば、短パンは禁止だし、アッラーへの信仰心をかき乱すポルノ等の持ち込みはシャリーアで禁じられています。
翌朝にはテヘランに着いて待合わせていたロブと再会。ここから10日程一緒に回ります。
まずはテヘラン。主な見所というと、すっと思いつかないのですが、旧アメリカ大使館の建物は見ておくべきだと思います。イランの人達はアメリカが大好きなので元大使館の建物を素敵にドレスアップしてしまった、といった場所です。
以下アメリカダイキライギャラリー↓







アルメニアにて
トビリシからバスで10時間、アルメニアの首都エレヴァンに行きました。
エレヴァン(の中心部)は凄く綺麗に整備されていて、ヨーロッパ風なのだけれど、残りの国土はほとんど山と廃墟、といった感じで、楽しむには難易度高いです。
見どころはと言ったら、あちこちにある修道院ぐらいなもので、ただこの修道院が結構すごい。

↑右のちっこいのがコルビラップ修道院。
エレヴァンからバスで一時間くらいで行けます。

↑こっちは月の軌道上にあるはずのロンギヌスの槍。やっぱりエレヴァンからバスで一時間くらい、アルメニア正教総本山であるナントカ修道院にあります。
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あとエレヴァン市内には映画監督・セルゲイパラジャノフの記念館があります。
端っこで映像の上映もしていましたが、メインはパラジャノフが残した絵・オブジェの展示になっています。
内容盛り沢山で面白いです。ふざけたマネキンみたいなのがいっぱいあります。

↑本人らしい。


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エレヴァンの広場では毎日噴水ショウが行われていて、毎晩爆音のエンヤとかを聴きながらロマンチックな感じに浸れます。
ワインと鉄くずを求めて(番外トルコ編)

ワインと鉄くずを求めて(part2)
カワモトマサシ探検隊、
朝四時、腐臭漂うトビリシ駅前にて映画的に結成。
隊員はマサシさん、アイコさん、やっぱりキルギス以来のイガラシさん、そして僕。
この4人でグルジア~ロシア国境に近い山中にある山登りメインの観光地メスティアを攻める。その後黒海リゾートでトップレスの美女を観察し、トルコはトラブゾンまで出向きイランビザを取得、トビリシへ帰って試合終了、という流れ。完璧。
早朝のトビリシ駅前から出ているメスティア直行バスに揺られること10時間、その日の午後メスティアに到着。
ニノの家といういい感じの宿にチェックイン。でも、ここのオバチャン(ニノ)が結構クセモノで、「3食付15ラリよ~!」と初日に昼飯を振る舞ってくれたにも関わらず、次の日には「アンタら昼飯抜きだよ、まったく!」とこちらが悪いかの如く部屋に怒鳴り込んできたりした。
ご飯は総じて美味しいのだが、二日目の夕ご飯から「ピラフが納豆臭い」という疑惑が浮上して、ここどうなの、という話になった。僕だけ気づかず食べていたけど。
到着翌々日、ちょっとしたトレッキングがてら氷河を見に行く。
ゴツゴツの岩場を登って到着。

↑はしゃぐ隊員達。UFOにでも吸われてるのか。
更に翌日、絶景だと噂のウシュグリまで。車で2時間。
メスティアの宿で会った、いかにも神経質そうなシンガポール人が
「ヘイ、ウシュグリはいいところだが、町中糞がいっぱいだ。フルオブシットだぜ。」
とか言っていたが、僕ら(少なくとも僕)は「糞ぐらいどうってことないわ、舐めんなよ!」と思っていた。そしたら本当にフルオブシットだった。すごくきれいなところだけど。
“アルプスの少女ハイジ”に出てくる山は綺麗だけど、きっとハイジの靴って糞まみれだったんだろうなぁ、とハイジ歴15年目にしてようやく気づきました。だからあんなに高いところでブランコ乗ってるのか。いずれにしろ、現実は甘くないです。

↑犯人達。
ウシュグリの宿に日本人のおばちゃんたちがツアーで来ていた。
スゲーおばちゃんたちだな、と思っていたらその人たちが部屋から出てきた隊長を見て「川上さ~ん!!!」と話しかけていた。(ホントは川本さん)
隊長はやっぱり、実力・人望ともにすげーよ!と思って見ていたら、隊長もなにやら身に覚えがあるご様子で「うっす」と愛想よく話していた。どうやら隊長の古巣、“地球の歩き方”の最後の方に載っていることでおなじみの西遊旅行さんのツアーだったようです。すごい旅行会社やで。
あと楽器担いだエセピッヒーたち(通称レインボー)もいた。
ヒッピーに好まれるような土地なのか、ここで数日前まで年一回の世界的なヒッピーの大集まりがあったらしい。来年はアルメニアだそうで。
本当はヒッピーに憧れている自分だけど、「うおー、超カッケー!」とはならなかった。
翌日、更に奥地までトレッキングに。途中膝まで水に浸かったりしなくてはならず、冒険してる感が出ていた。

↑またしても吸い込まれる隊員達。隊長(左)は必死に耐えているようにも見える。イガラシさんはlost中。
メスティアに帰るとニノの家がいっぱいだと言われたので、エカの家とかいう宿のおじさんの家に泊まった。
この宿のご飯が最高に美味しかった。
その家のお姉さんが、グルジア語版“芥川龍之介短編集”(藪の中とかが入っていた)なる物を嬉しげに持ってきて驚かされた。日本人が読んでいてもなんとも思わないけれど、芥川を読むグルジア人女性はきっといわゆるサブカル女子であるに違いない、と思った。
連日の登山で疲れ切っていた僕らの気持ちは既に黒海リゾート・バトゥミへ。
丁度、近々ジャズフェスティバルなるものが開かれる、といった話も聞いていたため、「ジャジーやでー、ジャジーなトップレスやでー。明日はジャジ半(5時半)起きやでー」と気が狂ったかのようになっていた。
翌日バトゥミへ向かった。バスを乗り継いでついにバトゥミへ到着。
しかし、その浜辺にて僕たちの期待は裏切られることとなる。
「トップレス、いないじゃん…」膝から崩れ落ちる隊員達。
長い長い旅程の果てに僕らが見た物は、とてもビーチとは言えない石でゴツゴツの海岸、そして樽のような体系の女性版“黒海”たちが波を相手に相撲を取る姿であった。(ちなみに先日引退したらしい日本の相撲取り“黒海”はグルジア出身だそうです。お疲れさん。)
更に、ここで行われているはずのジャズフェスティバルは前の週に終了。
我々は絶望という名の水着をまとい薄汚れた黒海に涙を注いだ。
ワインと鉄くずを求めて(part1)
題名は「グルジアにはね、ワインと鉄くずぐらいしかないんですよ…」
という長期滞在の方のお言葉から。(実際はもうちょっといろいろあります。ご飯とか美味しいです。)
ネリダリの家について、キルギス以来のマサシさんと合流。
おなじみ(?)のアイコさんも別の宿から参戦、一緒に回りました。
まずはゴリという町へ。スターリンさんの出身地です。

↑スターリン像。いなせ。

↑独ソ不可侵条約が結ばれたという列車の車両。機関車トーマスで言うところのヘンリーですかねこの色は。
ゴリの後はムツヘタというところに行きました。
岡のうえに教会があっていい感じのところ。軽く山登りになります。

↑草原と丘と二人。いい感じです。

↑教会。

↑多分一番メインの景色。ひどい逆光です。午前中に行くことをお勧めします。
帰りにヒッチでつかまえた人が20年もドイツに住んでる逆輸入系グルジア人(休暇で帰ってきてた)だった。
すごくいい人だったけど、その人が「グルジアはまだまだだめだ」的なことを言っている姿を見ていたら、
海外帰りの日本人が妙にオープンマインドなことを言いだす、みたいな状況がよぎって、
まだ見ぬ帰国後の自分を静かに戒めた。
ネリダリの家(トビリシ,グルジア)


バクーにて(2012.07.18~2012.07.19)

Baku,Azerbaijan
イスタンブールにいる!(リアルタイム)
2012年9月6日午後、トルコのアンカラへ行くバスに飛び乗り、約1ヶ月滞在したイランに別れを告げた。
2日後の9月8日午前7時、アンカラとはかけ離れたイスタンブールのある家庭で僕はハチノスを見つめていた。なんだこりゃ。
ハチノスは黒く、たっぷりとハチミツを含んでいた。まだハチノコが入っている部分もあった。
それをヌスレットのおっさんがサクサクと切り分け、僕の皿に置く。
彼は切り分けた最後のひとかけらを自分の口に放りこんだ。ああ、食べるんだ、と思う。僕も食べる。吐き気がするほど甘い。口の中に何か残る。カブトムシの匂いがする。スパイスの棚に朝日が反射して、まぶしい。開け放たれたバルコニーから忙しい朝の音が入り込んでくる。僕はマンションの4階でお茶をすする。熱い。
僕がテヘランのバスターミナルで運転手と、
「確かにアンカラへ行く、と言って買ったんだ。アンカラへ行け。」
「いいや、このバスはイスタンブール直行だ。どうしてもアンカラへ行きたいなら途中で降ろしてやる。乗り換えて行け。」
と言い争っていた時、隣で爆笑して見ていたおっさん。そして、そのまま席も隣になり40時間の間を共に過ごしたおっさんがこのヌスレットのおっさんである。トルコ人。
僕が運転手集団から不当な扱いを受けた時はすかさず
「あいつらはイステミヨルム(トルコ語で”要らない”)。気にするな。イランはホダハフェスだ!(ペルシャ語で”さようなら”)」と慰めてくれた。40時間もの間、クッキーやフルーツ、休憩所のご飯まで振舞ってくれた。
普通はこういう風に良くされると、まず何か疑う。後で金でも要求されるんじゃねぇか、とか。
5ヶ月もぶらぶらしてきた僕である、タダ飯を手放しで喜ぶほど迂闊ではない。
でもこのおっさん、何しろ英語を話せない。ジェスチャーと勢いでコミュニケーションをとる。遠くからニコニコとアイスを両手に持ってきたりする。白!
そんな我々の共通言語は彼が教えてくれるトルコ語、それとお互いに超適当なペルシャ語だけである。
「イステミヨルム(トルコ語で”要らない”)」「ヘイリー、フブ(ペルシャ語で”超、良い”)」だけを無意味に連呼して笑っていた。
僕はこのおっさんが好きになってしまった(乗り換えてアンカラへ行くのが面倒だった)ので、イスタンブールまで行ってしまう事にした。
深夜、イスタンブールに着くと、宿までタクシーで連れて行ってくれるという。ありがたい。
と、思ったらこのおっさんの家に来ていた。
「トルコ航空のキャビンアテンダントやっている娘のベッドが空いているから」となんともファンシーなベッドをくれる。
僕はトルコ航空のキャビンアテンダントが隣に居ない、という事だけを不満に思いながら熟睡した。
これがイスタンブールでハチノスを見つめていた事の真相である。
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朝食が済むと、「服洗濯してやるから、これ着てな」と奥さんからポロシャツとスラックスを授かった。
おっさんが着痩せするタイプなのだという事に気付きつつ、ダボダボのシャツとブカブカで丈の足らないスラックスを履いた。
街へ行くらしい。
おっさんの案内でイスタンブールの街を歩く。

結構スケベなおっさんは街行く女性を眺めながら「ヘイリー、フブ(超、良い)」「ヘイリー、ビッグ(超、デカい)」「ヘイリー、マムヌーン(超、ありがとう)」などと平気で人を指差すため、知らない人の振りをしつつ、ついていった。
彼はアジア人とすれ違う時も「あれ、ジャポニだろ」と指を差しながら僕に聞いてくる。
これにはちょっと困って、相手が本当に日本人らしき時は僕も流石に「ああ、隣の島の奴らだ」と中国人・韓国人であるかのような英文をワザと大声で吐いた。すまない。
そんなおっさんと街のケバブ屋に座ると、ちょうど一人のアジア人女性がいた。
やはりおっさん「ジャポニか?ジャポニか?」と目で聞いてくる。僕は知らん顔をしていたが、その女性は本当に日本の方であった。
その方が「ズボンに穴が空いたからズボンが欲しい」とおっさんに伝えると、おっさんがバザールを案内してくれた。残念ながらお目当てのものがなく、女性は夜の飛行機でイタリアまで飛んで行った。
空港まで見送りに行った帰り、おっさんの家近くのショッピングセンターに寄って、おっさんが閃いた。「おい、ここのショッピングセンター良いズボン売ってるじゃん!買って、空港で飛行機を待っているあのジャポニに届けてやろう!」と言いだす。そうして本当にズボンを選びだした。
正直僕は、また空港まで戻るのが面倒だったし、行ったところで会えるかどうかは分からないし、すぐに帰りたかった。
「きっともう行っちゃったよ、やめようぜ」と言うも、おっさん聞かない。
「フライトは20時45分、今は19時、まだ間に合うぞ!」と健気にズボンを選び続ける。
たまに「これ!どうかな?」とか聞いてくるので、僕は「ミョーンミョーン(ストレッチ素材)はヨック(駄目だ)」とか「シュパー(ブーツカット)もヨック(駄目だ)」と、なんとかおっさんを止めようとした。それでもおっさんは止まらない。
遂におっさんが、「これだ!」と決めた。
「買いたいなら買えばいいじゃん(でも届くかどうか分からないし、もし届かなかったら奥さんに変な目で見られるぜ。あとそれブーツカットだし)」と冷淡に、僕は端っこで革ジャンを見ていた。
すると今度は「これに合うシャツはどれだ?!」とおっぱじめる。
「おいおい、もう間に合わないよ~」と僕が再度時計を差して伝えると、
このおっさん、「走れば間に合うだろ!!!!!」と腕を振るジェスチャーをしているではないか。女性服売り場で腕を振っている!!!
僕はこのジェスチャーと、おっさんのマジな眼差しに痛く感動し、
「確かに、走れば間に合うわ」と苦笑ながらも、なんだか吹っ切れてしまった。
とりあえずおっさんに、「おっさん、あのジャポニはイタリーに行くんだ。9月のイタリーはもうソーウク(“寒い”の意)だろ。シャツじゃない!セーターだよ!!!」とアドバイスをし、2人でセーターを選んだ。
一応聞いてみるか、と店員に「英語喋れる?」と聞くと「Yeah!」との返事がきたので、お店でオススメのセーターを買った。
おっさんはマスターカードを切った。
おし、行こう!とメトロの駅へ向かう。おっさん、走ってる!

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20時ちょっと過ぎに空港へ着いた。
空港の中へ入るも、女性の姿が見えない。僕らは20時45分発のフライトのチェックインカウンターへ問い合わせた。
しかし、取り合ってくれない。おっさんも気が済まない。
あんなに優しかったおっさんがちょっとヒートアップしている。
受付は「そんな人は分からん、知らん、もう出国カウンターを通ってしまったんだろう」の数点張りで、てこでも動かないといった様子であった。
迫る20時45分に焦るおっさん。僕もなんだか焦っていた。
贈り物が手元に残ってしまう、という事の気味悪さはなんとなく分かってもらえるだろうか。
この時点ですでに、僕もかなりそんな気分になっていた。
そこで僕はそのフライトの航空会社であるトルコ航空の受付に、「同じフライトの荷物に入れて、向こうに着いたら受け渡してはもらえまいか」と聞いてみた。
するとその受付「アイ キャント ドゥ ザット ビコーズ イッツ ベリーベリー バッド フォー ミー!!!」なんて怒鳴りやがる。
確かに飛行機の重量がすごくデリケートなのは知っているし、無理も承知で、聞いてみたのだけれど、そりゃあないぜ。
下手クソなイングリッシュで怒鳴ってくれやがって。しかもビコーズ イッツ ベリーベリー バッド フォー ミー、だなんて、ベリーベリー バッド フォー ユーな事でもすんのが仕事だろ!!!アホ!!!と一気に頭にきてしまった。
「ユー シュッド ドゥ サムシング モア ザン ジャスト キャリーイング ザ パッセンジャー アザワイズ ユーアー サッチ アン ユーズレス カンパニー!」決めてやりましたよ。決まった。
こんなにすらすら英語が出てくるなんて、初めてだぜー、モア ザン ジャスト、なんてTOYOTAのCMみたいでカッケーじゃん!
と振り返るとおっさんもご満悦の顔でした(多分意味分かって無かったけど)
結局、20時45分のゴングが鳴り、僕らはブツブツ言いながら引き返した。
帰りのメトロで気付いたのは、僕が丈の足らないスラックスを履いた奇妙な東洋人であること。
それと、おっさんは娘の職場で、娘の企業を散々荒らして帰ってきたということで、
僕らはまた仲良くなってしまった。おっさん52歳。
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今日も午後までおっさんに連れまわしてもらった。一緒に海に行った。日本海よりも、カスピ海よりも、バトゥミで見た黒海よりも、イスタンブールの黒海は綺麗だった。
一緒にビーチの美女たちを眺めながら散歩した。お互い「ヘイリー、ビッグ(超、デケぇ)」としか言わなかった。
明日は歯列矯正中の双子とワルの友人がイスタンブールにやってくる。
なのでおっさんには別れを告げてきた。
時々僕をシカトして突っ走る事があり、正直人騒がせな奴だ、とさえも思っていたけれど(泊めてもらってなんだけど)、別れるのが悲しかった。
旅行中に友達ができることなんていくらでもあるけれど、このおっさんは特別だった。
ありがとう、おっさん!またイスタンブールに来た時に会いにいくよ!

↑優しいスマイルが心地よい、おっさん
カスピ海を渡る
カスピ海を渡る
7月16日から7月18日にかけ、船でカスピ海を横断した。
ウズベキスタンでトルクメニスタンのトランジットビザを取る時にアゼルバイジャンへ抜けるように設定すればできる。船は毎日出ていて、外国人は90ドル(高い)。
お腹が減った、と船内の食堂に行くとなんと一食5ドル、と言われてしまった。トルクメニスタンから持ってきていたパンが日焼け止めの爆発に巻き込まれゾンビ化していたのでしょうがない払う。ご飯にチキンが乗って出てきた。
ご飯を食べていると、英語を喋れる船員がやってきた。毛むくじゃらで、眉毛繋がってるのにまだ22歳らしい。何か喋ってよ!喋って!とうるさいので、仕方なく話していたら結構仲良くなってしまった。
彼はアゼルの海洋大学の4年でインターンシップ的な感じでこの船に乗っているらしい。「じゃあお前このままこの船に就職すんの?」と聞いてみると、ちょっと落ち込んだ風に「その前に兵役に行かないとなんだよ…兵役が終わったら絶対もっと大きい船に乗って世界中の海を航海するだ!」と言い出した。でもそこだけ英語が超上手くなってた。
あまりのお涙頂戴展開に「ああ、大変なのね」としか言えない僕であったが、冷静になるとこの「兵役いって、世界中を…」の台詞の時だけ妙にコイツの英語がスラスラスラっと流暢になったのに違和感を感じてしまい、「コイツ英語しゃべれる外国人とか相手にちょっと悲劇的な自分を演出してあわよくば口説こうと、このフレーズだけ練習でもしてるんじゃねえの?」という考えしか浮かばなかった。ちょっと悲劇的な、それでも夢のある青年にきゅんと来てしまう女性、騙されてはいけません。(ごめん青年)
仲良くなった彼にずうずうしいながらも「飯が高くて食べられない、餡なのに5ドルの価値あると思ってんのか」と詰問してみたら、「じゃあ飯パクってきてやるよ!」と僕の部屋までご飯を持ってきてくれた。「やっぱりおまえは最高の友達だぜ」とジャイアンのようなことを言ってありがたく受け取った。

↑「ボナペティー!食い終わったら呼んでくれ」と受け取ったは良いものの、中を開けてビックリ。魚の頭が二つにしっぽが一つ、それとパン。って犬も食わぬわ!
かといって手つかずで返すのも申し訳ないので、フォークで適当に突っついておいた。頭頂部に少しだけ食べられる部分がありました。
パンだけ食べて完食。彼を女たらしと疑い、パシリにまでした罰です。
二日間かけてアゼルバイジャンに到着。

↑ドックが開いていないとのことで沖に停泊、ここからのバクが一番きれいだった。
翌日の朝5時に港に降ろされた。
Turkmenbassy,Turkmenistan-Baku,Azerbaijan
トルクメ無宿、三泊目(トルクメニスタン)
ガスクレーターから首都アシガバットへ帰還するも、すぐに移動。
船に乗りアゼルバイジャンへ行くためにトルクメンバシという港町まで行かなくてはならない。
タクシー乗り場につくと早速、運転手たちがたかってくる。
一人の運転手に僕が額を提示すると「チョン、チョン」と自らの頭を突っつくジェスチャーをしてくる。「テメェ頭イカレてんのか?(そんなはした金じゃ走んねぇよ)」のポーズだ。カチーンと来たね。車中に日焼け止めぶちまけてやりましたよ、SPF50+。(単純にこぼしちゃった)
で、ちょっと気まずくなりながらも満席になるのを待っていたら、ボインのお姉ちゃんが2人してやってきた。何やら英語で言うには「アンタ、ここで他の客待っているよりも、アタイらと3人でタクシーシェアしない?」とは!
怪しすぎるぜ、ボインちゃん…どうせこのままホテル&事務所のコンボで身ぐるみはがすつもりなんじゃねーの?お?
なんてことも考えたが、よく見るとこの人たち母と娘(?!)っぽい。
尋ねてみると、やっぱり親子、35歳と15歳だそう。上にも下にも全く射程範囲外の年なのに、けしからん。
船着き場についてボインの親子と別れ、待合室にチェックイン。この日の便は既に出てしまっていたので翌日まで待機。「そこらへんで寝てろ」と無愛想な受付のおばちゃんに言われてしまった。
また床にマット敷いちゃったよ。
トルクメ無宿、二泊目(トルクメニスタン)
トルクメ無宿2泊目
朝7時警察署の床にて叩き起こされる。今日の目的地はアシガバットからバスで6時間、徒歩2時間のガスクレーターだ。
何でも声のデカい偉い人が僕をバス乗り場まで連れて行ってくれるらしい。
バスに乗って6時間、お昼過ぎにガスクレーター近くの小さな集落、ダルバザへ到着する。集落というよりも、ドライバーの休憩するお茶屋がいくつかかたまって在る、という程度のものでかなり寂しい。僕はここで、北側から来るはずの(僕は南側から行った)台湾系オーストラリアンギャル・イヴォンと落ち合い、一緒に砂漠を歩く予定だった。しかし、落ち合えず。先に出発してしまった。
お目当てのガスクレーターは砂漠のど真ん中にあるので、昼間は訪れるための目印が全くない。でも夜になれば、ガスクレーターの光でオレンジ色に変わった空の色が確認できるので、旅行者は皆、その光を目印にしていくのである。
僕が出発したのは午後17時半。まだ暗くなっていない時間帯であった。というのも単純に暗くなった砂漠を歩くのが怖かったというのと、明るいうちに目的地と思われる方角へ2時間歩いて、ちょうど暗くなったときにガスクレーターの光が見えればいいじゃん、という理由からである。
そんな僕が自分で自分に遭難判定を下したのは、2時間歩けば着く、というところを3時間歩き、さらに持っていた1.5Lの水3本が最後の一本に差し掛かった時であった。
頭の中で、「2時間のところを3時間かかっていて、今現在も視界にはこれっぽちもクレーターっポイものがありません。さらに2時間くらいで暗くなるだろうと思われた空にはまだしつこく夕日がさしていて、オレンジの光を見つけようにも、むしろオレンジじゃない部分を見つけるのが難しいくらいです。水も最後の一本になりました。ハイ!遭難!」と自分で自分に説明をしているときだけは妙に冷静だった。
僕は夕日を背に東向きに歩いていたので、夕日に向かって戻るという方法が一番賢かったのだが、一回戻ったらもう一回は行く気が無くなるだろうし、それでもお茶屋の提供するぼったくりガスクレーターツアーバイクには乗りたくないし…
ということで、とりあえず視界の遠くにかすかに見える鉄塔を目指して歩いてみよう、もしかしたらあれがクレーターかもしれないし、人に会えるかもしれない、それがダメだったら本当に引き返そう、ということになった。
鉄塔に着くと案の定そこはクレーターではなく、天然ガスか何かの採掘所であった。ここで働いているおっちゃんたちに「ガスクレーターは?」と聞いてみると、「夕日の方角に4kmくらい」とのこと。今来た方角じゃん。幸い僕は彼らに歓迎され、「おっしゃ、じゃあ今から飯食うから、その後に連れてったる。お前も腹減ったろ!」とごちそうにまでなってしまった。

↑砂漠の真ん中に絨毯をひいて。
飯を食べ終えてしばらくすると、あたりが暗くなる。なるほど、確かに西の空がオレンジ色に光っている。
おっちゃんがソ連製のオンボロトラックのエンジンをかけ、乗れい!と声をかけ、僕をクレーターまで連れて行ってくれた。

柵も何もない、巨大な炎の穴をぐるぐると見て回っていると、他の旅行者もやってきた。僕は「イヴォーン!イヴォーン!」と呼んで近寄っていったが、よく見たら男性二人組であった。何でも彼らは昼間ついて、近くのテン場的なところにテントを張って、もう一度やってきたという。そんな彼らが「そういや今日ここでオージーが“ポニーテールのアジア人見なかった?”って言ってたけど、それ君だろ?」といってきた。あ、そりゃ僕ですわ。どうやらここでニヤミスしてしまったらしい。
そんなわけで、この日は砂漠で一泊!星がきれいでした。流れ星も見えたよ。あと狼が怖かったです。
トルクメ無宿、一泊目(トルクメニスタン)
ウズベキスタン・ブハラ近くの国境からトルクメニスタンへ。一日目はアシガバットまで強行移動。トランジットビザが5日しかないので、急がなくてはならない。
乗り合いタクシーの中で面倒なおっさんにつかまってしまった。真っ赤なTシャツの彼はアシガバットに住んでいるトルクメンマフィア(自称)だそうだ。彼は「ラストサムライ!タケシキタノ!ヤクーザ!ハラキリ!」あたりの日本語を連呼しては、僕に「お前もハラキリすんのか?」や「ヤクザはまだいんのか?」などと聞いてきた。そこまでだったらまだよかったのだが、このおっさんだんだんエスカレートしていって「ヤポン、カマスウートロ!(日本、性交)」とか叫ぶようになってきた。最初は意味が分からなかったのだが、運転手のおじさんがジェスチャーで教えてくれた。中学生かよ、とか思いながらも相手をしていたのだが、しばらくすると一緒に車に乗っていた家族のお父さんがそのおっさんに何か真剣に言い出した。おっさん、ピタリと止む。多分そのお父さんが「子供の前で変なことは言わないでくれろ」とか言ったのだろう。親はどこでも似たようなもんだなー、と感心してしまった。
アシガバットにやっとこさ着いたのは深夜1時過ぎで、タクシーの運転手に一番安い宿まで連れて行ってもらった。運転手のおっさんに昼飯台を貸していたので「6マナト(2ドル)返せ」と要求してみたが、登別の熊のような愛嬌たっぷりのポーズで「チャラにして」とせがんできたので奢ってあげた。
宿のレセプションで「アジーン スコルカ?(一泊、おいくら?)」と尋ねると「ニェットッ!!!」とのお返事が。何度聞いても「ニェット!ニェットニェット!」の一点張りで、さすがの日本人もヒートアップしかけていたまさにその時、ロビーで喋ってたトルクメンヤングがこっちおいでこっちおいで、とやってくるので、それを良い理由にロビーに入り込んでしまった。
そのトルクメンヤングは何をしたかったというと、どうやら僕のアイフォンを欲しかったらしい。彼は既にエクスぺリアを持っていて、「このエクスぺリア+300ドルで手を打たないか?」と言ってくる。そのエクスぺリアは日本語表示も出来て、最新型だったので、悪くない話だった。僕はおまけの現ナマを400ドルまで吊り上げる+このヤングの部屋に泊めてもらう権を獲得することを目標に商談を進めていったのだが、時刻が午前2時を過ぎたところで怒ったホテルマネジャーがやってきた。ヤングとの商談自体、僕の方ではほとんど半ギレ状態で行っていたので、「じゃあアイフォンの話は置いといて、部屋に入れてくれ」というナーナーな雰囲気に持ち込むことも出来ず、すっかり追い出されてしまった。
しょうがない歩き出すも、どこへ行っていいか分からない。もう午前2時、更に翌日は朝7時発ということで今更ホテルにチェックインする必要も感じず、ぶらついてやり過ごすことにしてしまった。
トルクメニスタンの前大統領ニヤゾフさんは相当な暴れん坊だったとのことで、首都アシガバットは凄いことになっている。具体的には、総大理石のビックリ建造物がずらっと町の中心を占めていて、警備の警察官以外にはほとんど人すらおらず、常時太陽の方角を向いているようにぐるぐる回り続ける金のニヤゾフ像が立っていたりする。丸ごとディズニーランド状態。
という訳で最初の目的は「金のニヤゾフ像を見に行こう!」ということになった。1時間くらい歩いて、やっとこさ金のニヤゾフ像に着くもビックリ。深夜3時にも関わらずニヤゾフ像の周りには5人以上も警備が付いていて、「シュッ、シュッ!」言いながら威嚇してるじゃん。「ちくしょ~、わてが何したってやんでい」と逃げるも「シュッ、シュッ!」は止まない。一生ニヤゾフ守ってやがれ!!!

↑金のニヤゾフ像(回らない方)
ちょっと歩くと雨が降り出す。砂漠のど真ん中にも関わらず、ここには嵐がやってくるのだ。雨宿りのためにバス停に入る。チョー快適じゃん!とマットをひいてゴロンと寝っころがる。「悪くないぜ、ハードボイルドだぜ、オレ」と眠りにつく。
「プップー、ップップップー」というやかましい音で目が覚めたかと思うと、路肩の車からおっちゃんが覗いている。「アー ユー オーケー?アー ユー オーケー?」だと。なんだと?これはお家ご招待の予感!!!
もちろん僕はちょっと辛そうな様子で「アイム オーケー バット グラウンド イズ ア リトル ビット ハード(大丈夫、だけど地面がちょっと硬い)」と答える!
「オーケー!アイ ヘルプ ユー!」との返答!HIT!!!
しかしそう簡単にいくわけもなく。彼は続ける、「アイ ヘルプ ユー!アイ ヘルプ ユー!プロトコル!プロトコル!」
…プロトコルだと?そんなんじゃないよ!ウェルカム トゥ マイ ホーム、って言ってくれよ!
見れば彼は手にトランシーバーを持っていて、なにやらピコピコやっている。コイツ、私服警官じゃん!!!!!
2分後には2人の警官がやってきて、3分後にはもう1台の覆面車がやってきて、10分後には20人以上の警官に囲まれてしまった。僕は必死に「ガスティニーツァ ニェット(宿、無し)、ガスティニーツァ ニェット(宿、無し)」と訴えるも「とりあえず、車乗れ」とのご指令。声のデカい警官に警察署まで連れていかれる。
警察署ではこの声のデカい警官が僕のパスポートを確認していたのだが、この警察官、僕のパスポートの背表紙で蛾を打ち落としまくる。相当なやり手だぜ、と見ていると、案の定、この声のデカい人はちょっと偉い人らしく、部下たちが「警部!この髪の長いアジア人は何でありますか!」とやってくる。幸い僕はこの声のデカい偉い人に「19才かよ、ベイビーだぜ」と気に入ってもらい、警察署の受付ロビーの床に寝床をこさえる権利を頂いたのであった。
